vol.3なぜ、私たちは「非評価」にこだわるのか

「非評価」という言葉を聞き、皆さんはどのように感じましたか?
放任、放置、あるいは無関心。「子どもをちゃんと見ていないのではないか」というネガティブなイメージを抱く方も少なくないでしょう。

しかし、私たちの考える「非評価」は、決して「何でもよしとする全肯定」ではありません。それは、支援という「介入」と、存在を重んじる「余白」を使い分ける大切な技術なのです。

 


二つの眼差し:評価と非評価のデュアルシステム

私たちの拠点は「児童発達支援センターよつば」の中にあります。そこには、あえて性質の異なる「二つの眼差し」を共存させています。

 1 「評価」の眼差し(療育的アプローチ)

 発達の指標に照らし、「何ができるか」「何が必要か」を専門的な物差しで測り、成長を促す視点。

 2 「非評価」の眼差し(居場所的アプローチ)

物差しを一度置き、本人の主観的な世界をそのまま受け止める視点。

この「評価」と「非評価」の両輪があるからこそ、子どもたちは「頑張る自分」と「ありのままの自分」を自由に行き来することができます。この往復運動こそが、心の安定を生み、支援の質を決定づけます。

 

 


非評価という名の「3つの保障」

私たちが「非評価」を実践する際、守り抜いているルールがあります。 
           ①「比較」からの解放

  外部の基準や誰かとの比較ではなく、その子の内側の変化だけを、その子のペースで見つめること。

 

②「自己決定」の尊重

  「こうなってほしい」という支援者の意図を押し付けず、本人の「こうしたい」を最優先すること。

 

③「プログラム」の強制をしない

  決められた型にはめるのではなく、本人の自発性が内側から芽吹くのを静かに待つこと。


 存在肯定の先にある「レジリエンス」

評価をしないということは、他者と比較せず、本人の決定を信じ、プログラムを押し付けないということ。それは、能力(Doing)によって判断される世界から、存在(Being)そのものが肯定される世界への招待です。「条件なしに、ここに居ていいんだ」という根源的な安心感こそが、失われた自己肯定感を再構築し、再び社会へと踏み出すレジリエンス(回復力)の種になります。

 

私たちは、この「非評価」という哲学を、本別から発信し続けます。


最後に

評価という上着を脱ぎ、自分自身に還る。
新しく始まる「すてっぷ」が目指すのは、大人が「正解」を教える場所ではありません。

外側の物差しを一度私たちがお預かりし、あなた自身の答えが内側から芽吹くのを、静かに、そして確かな専門性を持って待つ場所です。
この「非評価」という一見静かな、しかし強固な理念こそが、未来へ踏み出すためのかけがえのない一歩(ステップ)になると信じています。

 

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